愛のある人はデリヘルを利用するのか
愛について、人間はずっと考え続けて来ました。ただこうしたことを考えるだけではお金にならなりません。心理学者とか哲学者とかがそういったジャンルにはなると思われますが、実際誰でもできそうです。いま、私もこういうことを電車に乗りながら窓を眺めつつそうしたことを考えているのですが、ひどくくだらないなと思っています。ひとまず電車を乗り換えなければならないので、日暮里で下車。この街にも多くの人々が住んでいて、それぞれの人生があって、日暮里から出ていったりはたまた入って来たりもするのだろうと、くだらない映画の始まりみたいなことを考えました。そんな時に目に入ったのが日暮里のコンビニに置いてあったエッチな雑誌。そこにあったデリヘルという言葉が目に入ってきました。デリヘルは何故この世に存在しているのか、またまたくだらないことを考えはじめてしまいました。知らない女の子、すなわちデリヘル嬢とエッチなひと時をすごす。それに多くのお金を払う。そこに愛はあるのだろうか。考えてみたものの全くわかりませんでした。デリヘルを利用する機会もこれまで無かったですので、まず間違いなく正しい答えなど出るわけがないので、日暮里から違う電車に乗りまた窓の外を眺めました。そこでふと一つの答えに辿りついたのですが、愛とは一つのパワーであり、それがなければ人は行動することができない。つまりデリヘルで可愛い女の子とエッチなことをしたいというのは後付けで結局もともとは愛そのものはすべての根源なのだ、そのように考えていたら、あっという間に電車が一周して再び日暮里に戻ってきていました。